投稿日時:2013-11-06 12:00 PM

ちょうさ祭りと、守るべき伝統、伝統を守るために変えるべきもの

 神輿が水没? 美波町の日和佐が一年で最も盛り上がるのが、10月に行われる「ちょうさ祭り」(日和佐八幡神社祭り)。今年は、2013年10月12-13日がメインでした。神輿は御神体を載せますが、「ちょうさ」とは太鼓のこと。これを男たちが海の中に入るという港町らしい勇壮な祭りです。

 多くは隣の阿南市、県庁のある徳島市、あるいは京阪神、首都圏に働きに出た人が。このために帰郷してきます。普段の町の様子が信じられないくらい、若者・子どもも含め賑わっていました。

 地域発のビジネスを目標にこの地に会社を開いた都会人の私の眼には、とにかく別世界、カルチャーショックを受けまくりで、一言では言い表せない複雑な気分でした。私は東京で生まれ、郊外の公団住宅で育ちました。公団住宅の住民は全て移民なわけで、地元の伝統というものはありません。あっても30-40年程。数百年続く伝統というのは、頭で理解出来ても、体に染み付いていない感覚なんです。

 祭りのために帰ってきた出身者のうちの、1/10か1/50でも日和佐に残って会社を作る、あるいは家業を継いで再興出来れば、よそから来た私のような人間がわざわざここで起業せずとも、この町は何とかなるはずなのにな。日和佐にはポテンシャルは十分にあって、むしろ他の町・地域の方がもっとヒドいのだろうな。

 祭りは見ているだけでテンションが上がるのですが、多くの祭りと同様、成人男性が前線へ、女性が後ろでサポートという構図。思わず「銃後」という言葉が脳裏をよぎりました。祭りは一種のハイライトなのかもしれませんが、男女の性差に対してフラットに生きてきた私には、これが日本の伝統の一つなんだなと思わされました。

 祭りの歴史を調べたわけではないですが、この祭りも伝統を守るために変わっているようです。他の町からの応援なしには担ぎきれないという現実が、町内対抗的な色合いの濃い祭りの意味を変えています。儀礼としてちょうさ同士が正対すると、力を誇示するような行為をするのですが、私の眼には、一つの町のちょうさの担ぎ手が、各町の色とりどりの法被に彩られていることが強く印象に残りました。

 さらに、今年は徳島大学の外国人留学生を含め、70名もの助っ人が集まりました。その中の一人の外国人が人一倍大きな声(ちゃんとした日本語)を出していました。体型を見ると、恐らく空手でもやっているのでしょうか。地元の日本人以上に、彼の姿が日本人の精神を表していました。

 守るべき伝統、伝統を守るために変えるべきもの、日本的なものとは何か。頭の中はこんがらがっていますが、多くの刺激を受け楽しめたことは間違いありません。私のような泳げない(水に浮かない)なよなよ系男子としては、参加はキツイので、来年も撮影で貢献したいと思っています。