横手市遠望

投稿日時:2013-02-04 10:00 AM

「さあ、出揃った!」-Twitterで町おこしの先駆者・横手の次なる一手

 秋田県南部に位置する横手市。冬のかまくらや、近年ではB級グルメの「横手やきそば」で一躍有名になった。だが、インターネットに関わる人にとってはTwitterの町だ。「Yokotter」と呼ばれるTwitterを使った町おこしの先駆者として知られている。

 Twitterブームは一段落したように思える。Yokotterや横手はどこを目指すのか。経緯や今後の展望について、その仕掛け人であるNPO法人Yokotter理事長の細谷拓真さんや横手の人々に取材を行った。(取材:2013年1月)

地元の祭りを通じて、Twitterからリアルへ繋がる

 2009年、当時仙台で働いていた細谷さんは、久しぶりに降り立った横手駅前を見て愕然とした。「誰一人歩いてないんですよ。僕が帰ってくる前に、この町は滅びるかもしれない・・・」 既にB1グランプリで「横手やきそば」が優勝していたにもかかわらず、町はこの有様だったのた。

 細谷さんがTwitterを始めたのは、2009年の10月。「リアルタイムで横手の情報が来れば面白いと思い、見た時だけ返事するTwitterなら、いいんじゃないかなと思って。ハッシュタグ#yokote という記号をつけて、横手について質問したり、やりとりしたりするような場を作った。」

 これがYokotterの始まりである。地域活性化でTwitterを使ったのは前例のないことであり、メディアにも多く取り上げられた。また、横手市が公式アカウントを開設したことを機に、地元でも認知が広まっていった。

 そして、横手最大の祭り「かまくら祭」で「ヨコッターかまくら」を作ったことから、新たな展開が生まれる。かまくらの中で待っていることをTwitterでつぶやくと、今までTwitterでしか交流のなかった人々が次々に会いに訪れ。そこで初めて地元の人とリアルな繋がりが生まれた。

 「ヨコッターを始めて、人が繋がりやすい状態を作った。それがすごく良かった。」細谷さんは、手応えを感じた。

「場」の定期化から恒常化へ

細谷さん
写真:NPO法人Yokotter理事長の細谷拓真さん。MIRAIの名物・薪ストーブの前で

 震災の混乱がまだ続く2011年4月には、「よこいち。」がスタートした。これは、横手駅前「よこてイースト」で毎月1回開催される、地元の人に開放された自己表現の場。毎回テーマを決め、農家や料理人、アーティストなど多くのクリエイターがブースやステージで自分たちの活動や産品を発表している。

 Twitterによって横手に関わる人が可視化されたのに続き、場を作ることで、地元の人の活動がさらに可視化されていった。

 「みんなが主役になれるというのがすごく大事で、地域で頑張りたいと思う人がすぐに活躍出来る舞台を用意している。成功しないとダメだ、ではなくて、『よこいち。』をスタートの場所として使ってもらえれば十分。それを僕らが支えて繋げていければいい。」

 「場」作りは、さらに明確な意志を持ったものへと進化した。

 2009年にYokotterを始めて、ちょうど3年経った2012年12月22日にオープンしたのが、これからの3年を占うSecret Media Base – MIRAI –である。築80年の古い石蔵を改修し、「地域の学生や大人が対話でつながる場」を目指している。そのため、人を繋げる仕組みや仕掛けに富んでいるのが特徴だ。

 オーナーになると、ここでイベントを開催したり、本棚に自分の好きなものを置いたりすることが出来る。中央にある薪ストーブは、まるでキャンプファイヤーの夜のような打ち解けた対話を促す。施設内にシェアオフィス的な机や椅子がない(内観は、MIRAIのFacebookページにある写真を見て欲しい)ことも、車座になって膝を突き合わせたコミュニケーションを可能にさせる。

 横手には若者が真面目に語れる場所がない。居酒屋では飲み話になってしまう。それどころか、そういうことがかっこ悪い、やっても無駄という空気があるという。細谷さん自身も高校生の時は、大人、ましてや田舎の大人はつまらない存在だと思っていた。

 「尊敬出来る、ロールモデルのような人に出会う術がない。もはやこの辺だと、あまりにもn(母数)が少なくて、喫茶店やオシャレなカフェの経営が成り立たない。ちょっと背伸びした高校生が大人と一緒に何かをするアングラな喫茶店みたいに、高校生が悩みを持ち込んだり、町おこしをしたい高校生が現れたりしたら、コミットする大人が出るかもしれない。彼らがやりたいことを僕たちが叶える。」

それぞれのツールを活かした情報発信

よこいち
写真:1月20日のよこいち。当日は大雪のため参加者はまばらだったが、継続が重要と細谷さんは言う。

 「Twitter、Facebook、Ustream… ツールをどう上手く使うかという最初の3年は終わった。」と細谷さんは言う。その中で今、細谷さんが注力しているのが「写真」である。自身もデジタル一眼レフカメラを購入し、スキルアップに余念がない。

 「簡単に上げられて、町の良さや面白さを届けるには、やはり写真だなと。Facebookページで、写真のピントや画角の違いによる『いいね!』の違いを感じる。同じような写真でも、リアリティを伝える力があれば、そこにコミュニケーションデザインが生まれる。」

 その一つとして、NPO法人Yokotterが発信しているのが「あきたびじょんプロジェクト」という秋田をPRするFacebookページだ。

 「Twitterではリアルタイム性に歓喜した。Facebookでは写真の力を見せつけられた。ただ、コミュニケーションの一つとして写真を使っているので、過度な期待をすべきでないし、これからは、自分たちがどういう魅力を持っていて、どういうビジョンで運営していくかの時代に舞い戻る。」

 目指すのは、あくまでも場作りである。Secret Media Base – MIRAI -と、Mediaを入れたのは、いつまでたっても「メディア」であり続けたいという思いからだ。

 「この取り組みを介して、何かと何かが繋がったり、伝達物質が移動して盛り上がったり。僕がやるのではなくて、僕がイメージすることが僕以外の人によって回っていくようになればいい。」

本気の人がいて、それを支援してくれる人がいる町・横手

MIRAI
写真:Secret Media Base – MIRAI -の外観

 細谷さんがYokotterの活動をNPO法人化したのは、この活動を道楽ではなく、30年本気で続ける意思表明でもある。

 「Twitterを始めて最初に繋がった横手の人が、僕の横手のサッカー少年団の先生。30年前は横手にサッカー文化はなかった。そこにサッカーのスポーツ少年団を作った。30年経って、やっとここまで来たと言っていて、30年なんだから早く始めた方がいいよなと。40歳から30年はキツイから、30代から30年だったら、まあ何とかなるかな。30年やると誓って、あと27年位ある。どうせ30年以上、死ぬまで住まなきゃいけないし、どこかでリスクをとって、投資する場面が来るとしたら、それは今だなと思って。」

 「さあ、出揃ったぞという立ち位置についた感じがする。これ以上僕らが装備出来る武器はない。ここから生まれるプロジェクトを支え広げることで、この町の活性化を見定めたい。」と細谷さんは力強く締めくくってくれた。