NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也さん

投稿日時:2013-01-07 10:00 AM

人が人を呼び、地域が人を活かす – 神山で見つめるそれぞれの未来

「どういう人に集まって欲しいかに力を注いだ方が、地域づくりはうまくいく。」

 徳島編の2回目は、第1回目で取り上げた三三株式会社(現・Sansan株式会社)がサテライトオフィスを構える神山町(かみやまちょう)。連日のように全国各地から視察者が訪れる。その活動を引っ張っているのが、NPO法人グリーンバレー(以下、GV)理事長の大南信也さんだ。

 1990年から2035年の神山を予測した長いタイムスパンで、目指す町づくりについてお話をじっくり聞かせてもらった。きっかけとなった国際交流、アーティスト・イン・レジデンス、空家再生、サテライトオフィス事業、これからの人口減少時代での移住促進の取り組みなど、話は尽きない。だが、大南さんについては、既にいろいろな媒体で取り上げられているので、今回のインタビューの中から特に印象深かった点を簡潔に書こうと思う。

 よく、ハードではなくソフト、箱物ではなくコンテンツと言われる。神山のサテライトオフィス事業も、初めから「場所」が用意されていたわけではなかった。色々な人がやって来て、こんなことやりたいという話を聞き、GVの人たちが手伝っていった結果、サテライトオフィスという形になった。大南さんはこれを「人のつながりと思いの重なり」と表現する。

 GVが持つ行動指針GV Wayは、「できない理由より、できる方法を!」「とにかく始めろ」だ。どこかで聞いた発想法ではないだろうか。これはシリコンバレーの風土で育ったITベンチャー企業のそれに近い。それもそのはず、大南さんはスタンフォード大学のSchool of Engineeringを1978年に卒業している。その前年には、Apple最初のヒット作「Apple II」が発売された時代だ。

 「地域資源が大事と言われるけど、それが最重要ではなくて、どんな人が集まるかがもっと重要。人をどう集めるか、どういう人に集まって欲しいかに力を注いだ方が、地域づくりはうまくいく。」(大南さん)

 では、その「集まった人」は? 私の興味はそこに移った。彼らの話を聞くことで、これからの神山が見えてくるのではないか。たった1泊2日の滞在ではあるが、1人でも多くの人に会うことにした。

グリーンバレーで働くU・Iターンの2人に聞いてみた

樋泉さん・橋本さん
GVに勤める樋泉聡子さん、橋本泰子さん

 まずは、今回、我々の取材をアテンドしてくれた、GVに勤める樋泉(といずみ)聡子さん(写真左)、橋本泰子さん(写真右)に話を聞いた。二人とも神山塾(次頁)を修了し、緊急雇用対策事業でGVに雇用されている。

 徳島県出身で、子どもたちとの自然体験活動のキャリアを積んできた橋本さんは、森や山で子供たちとの活動をしたいという夢を持っている。迷いもあったそうだが、「地域」とつながること、「人」とつながることをまずは構築すべく、神山へ帰ってきた。

 現在はGVで、「森と共に生きる暮らし方」探訪キャラバン事業を担当している。これは、神山町に住む映像作家長岡マイルさん(後述)と5人の外国人作家が共同で「森と暮らしの関係」を取材するプロジェクト。愛・地球博成果継承発展助成事業に採択され、2013年2月10日に開催されるシンポジウムで公開が予定されている。

 神山の川で育った橋本さんだが、(Uターンであっても)移住者として現地に入り込み、この地で自分の理想とする事業が出来るか不安を持っている。どうなるかは分からないが、神山とのつながりをどこかでは持っていたいというのが本心である。

 一方、東京で生まれ育った樋泉さんは、GVが建設を進める神山バレーサテライトオフィスコンプレックス(KVSOC)事業に携わっている。KVSOCは、同町にあった縫製工場の跡地を改修し、サテライトオフィスを集めた施設。(同町でのサテライトオフィス事業については、1つ前の記事を参照のこと。)都内からだけでなく、県内のIT企業・技術者、デザイナー、クリエイター、アーティスト、弁護士、会計士など、様々な分野の人材が対象となる。

 「GVが意識的に、それぞれの自己実現がしやすい場を作ってきたからかもしれないですが(例:ワーク・イン・レジデンス事業 後述)、神山は、思いの実現がぐっと近くなるところ。根底にあるのは、お遍路のお接待文化なのかもしれませんが、人と人の連鎖と化学反応によって神山という新たな衛星が廻ってる気がしています。」

 今後はKVSOCをベースに活動し、自らも神山で起こる化学反応の触媒になろうとしている。KVSOCの開所は、2013年1月23日を予定している。

地域体験を通じた職業訓練で町づくりの担い手を輩出する「神山塾」

神山塾
「神山塾」を運営する株式会社リレイションの祁答院(けどういん)弘智さん、山口良文さん

 樋泉さん・橋本さんが参加した「神山塾」を運営する株式会社リレイションの祁答院(けどういん)弘智さん(写真右)、山口良文さん(写真左)に話を伺った。

 田舎では、農地の上に建物を建てられないなど、移住者が土地や家屋を取得しにくい制度がいくつもある。不動産コンサルからスタートした同社は、移住のサポートを通じて、地域マネージメント事業に関わることになった。

 基金訓練制度(求職者支援法)を紹介された祁答院さんだったが、教育機関でないところが職業訓練を実施することには戸惑いもあったそうだ。また、同制度最大の目的は、職業訓練によって(非自発的)離職者を再び雇用保険の対象にすることである。しかし神山塾では、GVの協力の元、特定の資格取得よりも地域体験を通じて職業訓練を行うプログラムが実現した。

 スタート当初(2010年12月〜)は「ソーシャル・コミュニティビジネス科」。第3期からは「イベントプランナー・コーディネーター養成科」として、全国から集まった男女約20名が半年間過ごす。現在行われている第4期では、GVが展開する地域づくりの事業を素材に、イベントの企画・実行を通じて、塾生が自発的に学び・行動することを目標にしている。

 雇用形態は様々だが修了生の就職率も保っている。都会暮らしに復帰した人もいる一方、塾生の1/3が徳島県内で暮らす意向を持ち、結果として移住者増にも貢献している。

 さらに、埼玉からIターンでやって来た山口さんは、農村地域における学習塾「農家村塾」の準備を進め、都会の学習塾に通えない小中学生を対象にした新しい教育教育のモデルを構築しようとしている。

 国の事業方針との折り合いに苦労は絶えないようだが、 「僕らと出会わなければ、塾生たちの今の人生は間違い無くない。達成感よりも安堵感と義務感が勝る。」と祁答院さんは締めくくった。

1秒でも早く帰るつもりがIターンの代表になった映像作家

長岡マイルさん
スタジオでインタビューに応じる長岡マイルさん

 GVは、国内外から現代美術家を招聘し作品制作を行うアーティスト・イン・レジデンス事業を行なっている。その結果、神山町はアーティストやクリエーターを惹き付ける場所になった。その一人が、活動写真家・長岡マイルさんである。

 長岡さんは、Twitterでトム・ヴィンセント氏と知り合ったことがきっかけで、神山町のドキュメンタリーを作ることになる。同氏がリノベーションに関わったブルーベアオフィスに試験的に短期滞在、のはずが、ドキュメンタリーの制作に時間を要し、1年半近く同物件に住み着くことに。現在ではドキュメンタリーで追い続けている人物の家の前に転居し、奥さんとお子さんの3人で暮らしている。

 長期滞在になってしまった理由は、神山が好きというよりも、映像作家としてのこだわりを追求した結果のようだ。
「(物事には)レイヤーがあって、1−3次レイヤーなら短期で撮れるけど、もっと深いレイヤーのところは、長くいないと分からない。その間にも(被写体である)婆さん自身も変わるので、そしたらどんどん長期滞在になってしまって。」ともかく、神山には作家がハマる何かある。

 2012年は今までで一番働き、都会にいる時よりも仕事をしているという。神山でライフワークも続け、四国の顧客を中心に映像制作も手がける。長岡さんの言葉を借りると、映像作家は東京には換えがいくらでもいるが、ここには競争がない。これは、GVのワークインレジデンス事業の狙いでもある。同事業では、町に足りないスキル・才能を持った人を意識的に選んで居住を促しており、樋泉さんが2ページ目で語っていた「自己実現しやすい場」もこれに通じるだろう。

 「全く換えがいない社会っていいな。その分、自分がそれに答えて成長しなくちゃいけない。」表現者は、ようやく腰を落ち着ける場所を見つけた。

「山に登る」同級生を一人でも多く

北山敬典さん
神山町の産業建設課に勤務する北山敬典さん

 次世代を担う純粋な神山っ子にも話を聞いた。神山町の産業建設課に勤務する北山敬典さん(25歳)。神山で生まれ育ち、徳島大学を卒業後、公務員となった。

 今は、特産品(すだち)のプロモーションに加え、サテライトオフィス事業も担当する。同事業は、民間そして県が続き、町は後追いの格好になる。だが、人口6000人の同町内でも、外から人が来ている地区は限られている。町も関わることで、GVの取り組みに馴染みのない町民にも理解を促すことが出来る。

 北山さんが感じる町の課題は、これだけたくさんの人が訪れてくれる神山に、どうやってもっとお金を落としてもらえる仕組みを作れるかだ。仕事がなければ、出て行った若者は帰ってこない。48人いた同級生のうち、神山に残るのはわずか10人。この人数では、祭りや防災団などの継続も危ぶまれている。

 この地区の若者は、30歳前後で地元へ帰ることを一度は考える。「同じ世代の者が『山』(徳島市内に対して、地元民は神山をこう呼ぶ)に登ってくれれば。」一足先に山に登った北山さん。その時までに町にどれだけ新しい産業を興すことが出来るか。

神山のフィルタリングは高純度で魅力的な人に出会える

廣瀬さん宅にて

 神山町滞在の夜、懇親会に招待された。家主は、大阪でwebや映像の制作会社Kinetoscopeを経営し、2012年10月やって来た廣瀬圭治(ひろせ きよはる)さん。サテライトオフィスを作るつもりが、一家での移住を決意した。現在は大阪のオフィスと徳島を行き来している。

 神山で様々な人と出会い、話を聞かせてもらって感じるのは、ここでは魅力的な人がフィルタリングされて集まり、出会えるということ。その「目」が志なのか、興味なのか、才能なのか、まだ上手く説明がつかない。東京にはそういった存在は総数では多いが、純度は神山の比ではない。

 逆にここにいるだけで、いるだけとは言い過ぎだが、活動をしていると、面白い人が続々と向こうからやって来る。それも恐らく東京にいる時には会えないような人たちだ。そしてそこから新しいエネルギーを生み出す。

 宴も開き、サテライトオフィスを構える某IT企業の酔いつぶれた若者を車で送っていったのは、他ならぬ大南さんだった。お酒を飲まないこともあるだろうが、行く前に勝手にイメージしていた「大物」像とは全くかけ離れた姿。GVはこれまで様々な事業を展開してきているが、神山に魅力的な人が集まる理由を、何よりも雄弁に物語っていた。

(取材:2012年12月)